KYOEIDO WINE

対談

第2回

岡見周二(後編)

二人くらいが「いいね」って
言ってくれれば、満足なんです

2019/8/5

文・柿本礼子

共栄堂の小林剛士が若い頃からずっと憧れている人がいます。陶芸家の岡見周二さん、山梨県の陶房で器を作っています。「いつか岡見さんと自分のワインでコラボレーションできたら」との思いは、共栄堂のファーストヴィンテージのエチケットで実現しています。岡見さんに長年聞いてみたかったことを伺いました。後編は死生観について、そして作品と作者の関係性についてです。

大切にしすぎると負のイメージがつく

岡見:
僕、おばあちゃんっ子だったんです。一緒に暮らしていたおばあちゃんが、老衰でもうそろそろだとなり、孫4人で順番に添い寝をしました。当時、84歳だったかな。
僕が添い寝をしている時、「私が死んだら墓の中に入れないで欲しい」って言うんです。「何で?」と聞いたら「どうせあんたなんか、墓の前に行かないと私を思い出さないから。墓がなければ、どこにいても思い出してもらえるから」って。
僕は江戸っ子で、職人に囲まれて育った。葬式では年寄りが赤いはんてんを纏って木遣り歌で送りだすんです。格好いいんだよね。木遣り唄ってもともと、とび職が使っていた。で、とび職はすなわち消防団でもある。彼らは仲間内が死ぬと木遣りで送るっていうのが江戸の頃から風習だったみたいで。たまたまうちのおばあちゃんは妹の嫁ぎ先が町火消の棟梁だったから、木遣り唄が歌われたんでしょうね。格好いい死に方だった。だから寂しさとかはあまり感じなかったね。
小林:
大学時代に岡見さんの器に出会って、なけなしのお金で買わせてもらって、当然高価で使えないって思ってたんですけど、ギャラリーの方に「ものは壊れるものだし使わなきゃダメだよ。飾っとくもんじゃない」っていう話をいただいて、それは僕の中で衝撃的で、それから自分のものに対する感覚がガラッと変わったんですよね。使ってなんぼ、使わなければ活きないんだ、と。その話は死生観と結構近いのかなと。
岡見:
そうかもね。あんまり大切にしすぎたり、引きずっちゃうと、その人が生きてきたこと自体マイナスというか負のイメージがついちゃうじゃない。焼き物を始めたときにも「この世界はなかなか食える世界じゃないけどそれでもいいのか?」って言われた時に、当然そうだよな、って思えたのも、ある意味ドライなんだろうね。ただ嫌いな仕事はしたくないね。好きなことをやりながら食えるのがベストだよ。

謙虚なパイオニア、荒野を行く

小林:
パイオニアっていう言葉があるじゃないですか。前を切り開いていくタイプ。そこに道ができるかどうかは分からないけれど、そこを切り崩すほうが僕は楽しいですし、岡見さんは切り開くタイプだと思って見ています。
岡見:
個展を開いてくれた、銀座松屋の部長に言われたのは「お前は何年も焼き物やってるわけだから、右と左の道があってどっちに行けば楽ができて、金持ちになるかが分かるよね? 何でわざわざ反対側に行くわけ?」と。「そうですよね、僕、金持ちにはなりたいんですよ」って言いながら「でもつまらないじゃないですか、こっち行っても」って返しました。
その人が松屋を辞める時、嫁さんとまだ小さかった子どもを連れて「僕はあなたと仕事がしたかったので僕も松屋(の個展)をやめます」って言いにいったら、「そんなことを言いに来た奴はお前くらいだよ」と。だいたい他の焼き物屋さんは「じゃあ今度担当は誰になるんですか?」って聞きに来るって。「でも俺はお前の仕事が見たいから、あと1回やれ」って言われて、最後に1回だけ松屋でやって、それでやめたんだよね。
今、西麻布(ギャラリー桃居)で個展をやってるのは、そこのオーナーが好きだから。オーナーが「今回良かったよね」って言ったらそれでいいんだよ。だから接客をほとんどしないで本とか読んでいて、よく客を逃してる(笑)。
小林:
岡見さんは本当に謙虚な方という強い印象が僕にはあって。大学時代に岡見さんが山梨で個展をされて、僕もお手伝いさせていただいて…お手伝いと言いながら足を引っ張っただけだったんですが、それで僕が仕事を終えて帰る際に、まだお客様がいらっしゃるのに、遮って走ってくれたんですよ。「とりあえずこれ持ってけ」と。雲の上の人が僕のために走ってくれている意味が分からない、と、僕はあの瞬間に完全に落ちました。「やっぱり、すごい人はこういうことができるんだ」と目から鱗が落ちました。
岡見:
僕自身はそんなにできていないんだけど、いいものを作ったり、上に行けば行くほど…やっぱりすごい人って謙虚なんだよね。歳が上だろうが立場が上だろうが、普通に話せない人はやっぱり伸びないんだよ。西麻布で個展をする時、搬入日の5時以降にいつも同じ爺さんが二人来るの。俺はまだ40そこそこだった時代、その人たちはどう見ても60歳前後。その爺さんたちが5時ぐらいに全部セッティングが終わった状態で見に来て何点か買ってくれるの。そうやってるうちに「その爺さんたちがいいと思ってくれればいいや、その二人の爺さんが今回も頑張ったねって言ってくれれば成功だな」って思うようになってきた。
後で話して聞いたら、一人はマガジンハウスの次期社長と噂されながらも、辞めて雑誌『Pen』を創刊した人だった。焼きもの特集の時は取り上げてくれて。もう一人の爺さんはPapasのコマーシャルをずっと撮ってる人で、広告大賞を3回も4回も取っている人だった。デザイン会社を立ち上げて3~4年やると誰かに譲って次の会社を立ち上げてっていうのを繰り返して「10個ぐらいやれば俺はその上がりで食えると思ったんだけど毎回食えないんだよな」って言いながらずっと仕事してる。可愛い爺さんなの。
ある時骨董通りを走ってたらPapasの前で、その爺さんがレンガ貼りしてるんだよ。「何してるんです?」って聞いたら、「これ、いいと思ってスペインから大量に買ったんだけど、誰もいいねって言わなくて、Papasの社長に無理矢理売りつけたんだよ。そしたら買ってあげるけどお前が貼れって言うもんだから」って。60の爺さんが短パン履いてタイル貼ってるの。やっぱりそれがいいんだよ。そういうフットワークの軽い爺でいたいね。

作品と作者は切り離せるか

小林:
技術って僕は手段だと思っていて、結局人間って自己表現する生き物だと思うんですよね。自分をどういう風に相手に伝えるか、それを物で伝えるのか言葉で伝えるのかっていう二分があって。自分も岡見さんも、もので伝える自己表現の人なんだと思っています。
僕の場合は、アルコールを扱っているので、飲める人と飲めない人が出てきてしまう。そうなると、飲めない人には、周りの評判でしか「これはいいものなのかな」と納得させられなくて。その価値観というか、表現手段についてはどう思いますか。
岡見:
剛士くんと僕では、職種の違いも当然あると思うんだよね。例えば作ったワインを一人だけがいいと言われても困るわけじゃん、ある程度の不特定多数がいいって言ってくれないと。ところが俺の作ってるものは違うんだよね。一人でいいんだよ、一個しか作ってないんだもん。だから100人がいいって言ってくれる必要はなくて、そのものを見て一人だけいいと言ってくれる人が現れればいいから。ただ一人じゃ寂しいから二人ぐらいは欲しいなと思うけど、でも三人四人は必要ないんだよね。その辺がかなり違うんだよ。だから僕がマニアックな世界に行っちゃったって構わなくて、周りが誰もいいって言わなくて一人だけがこれいいねって言ってくれれば、その人が金払ってくれればそれでいいわけ。
小林:
でも例えば、IKEAさんとかニトリさんとかの白磁と言うか白い食器は扱いやすくて、1枚150円ぐらいで売ってるわけじゃないですか。そういう現実があると、僕はあまのじゃくなので…一人が喜べばいいやって思う一方、全体の目を傾けられないかとも思ってしまいます。
岡見:
全部が同じになっちゃうのは怖いと思うね。100均で揃えた食器で食事する人がいてもいいし、全部骨董で食事する人もいるっていうのがいいんじゃないかな。楽しさって“振り幅”なので、みんなが同じ方向に行くのはちょっとおかしいと思うんだけど、でも日本人の性質でもあるんだよね。日本の場合は「これがいい」ってなると7~8割の人がそっち側に群がってしまう。その怖さは当然あるんだけど、でも振り子って必ずいつかどこかで戻るだろうと。まあ、なかなか戻らねえなとは思ってるけどね(笑)。
特に焼き物に関して言うと、日本ほどこれだけいろんな種類の焼き物がある国って他にはない。だから僕なんかが作っている焼きものが各家庭で1個入ってればいいなと思うね。沢山あって欲しいと思って作ってはいないんだよね。これが一個あることによって100均の白が映えるかもしれないし、白だけじゃ寂しくなった時に、骨董とか染付とか、何か違うものがあることで他もきれいに見えたりもするからね。
小林:
自分も学生の時はそうだったのですが、自分で考えない人が多い。僕は岡見さんに出会ってから、自分で覚悟を決めて自己判断することを教えていただきました。「岡見さんを知ってるから岡見さんの作品が好き」とは絶対言っちゃいけない、言いたくないですね。でも作品を見て好きだったら好き、という類の判断力が圧倒的に少なすぎると感じています。自分もワインや農業という分野で、俺はいいと思ってやってるんだけど、あなたは本当にいいと思ってるのか、悪いと思ってるのか。ちゃんと答えていただければ悪かったら僕はごめんなさい、良かったらありがとうございますって答えたいのにな、ともどかしく思うことがあります。
岡見:
僕も最初の個展を始めた頃は焼き物にサインすら入れてなかったです。正体もばらしていなかったから、会場にいる時、挨拶もほとんどされた記憶はない。作った本人抜きで作品を判断してくださいと思っていたから、経歴書も作らなかったし、それらしい格好もしてなかった。
ただ何回かやってると当然、焼きものと僕ってどこかで一緒なので「俺が嫌いだったら別に見る必要も買う必要もないよ」と思うし、その逆もあるかもしれない。どこかで一緒になっちゃう部分はある。ただ万人に好かれるものを作ってるとは思ってないので、万人に好かれるようになると、それもあんまりどうかなって思う部分もどこかであるんだよね。ちょっとジレンマがある。剛士くんはそういう部分、僕と似てる部分があるのですごく心配なわけですよ。
―小林さんも最初に私が会った時名刺を持ってなくて、連絡先を問い詰めたらラベルの裏に住所のスタンプを押したのを嫌々くれました。
岡見:
でも長くやってるとしょうがないことだからね。例えば俺の焼き物を見ていいなと思って買ってくれた人が、どんな人が作ってるんだろう?って興味を持つのはごく自然なことだから。同じように、ワインだって自分にとってすごく美味しいなと思ったら、これってどんな人が作ってるんだろう?って興味が湧くのは自然なことで。その時に「なんだこんな奴か」って思われてもしょうがないと思うし、でもその逆で「この人だったらまた買いたい」って思うようになる可能性も当然あるわけです。そこは痛し痒しだよね。
自然のままやって行けばよくて、そのためにどうしようってことはないけど、でもいちいち「岡見さんはこういう評価があって」って言ってくるやつがいるんだよ。俺は興味ないね。だって嫌いだって言われるんであれば、それと同じぐらい好きだっていう人が絶対いるはずだし、そんなこといちいち気にしてたら生きていけないんだから。自分は自分のままでしか生きていけないからね。
小林:
傷つきますけどでもそれが正当な評価でしょうね。「5人に好かれて5人に嫌われる人のほうが正しい生き方だ」みたいなことをどこかで読んだことがあったんですけど僕はそう思ってて、みんなから賞賛されるっていうのは何かおかしい。
岡見:
不思議なものでクレーム言う人がいるわけじゃない? それが例えば1割とかでもクレームが通って中止になったりもする。でも賛成する人ってわざわざ連絡してこないんだよね。結局のところクレームの人だけが連絡するとか行動に起こしているので目立つんだけど、それをいちいち気にしてると本当にキリがなくなっちゃう。
小林:
確かに、反対派って声がでかいので、確かに世の中はそれで動いちゃうところもたくさんあるんですけど、でもちゃんとした民主主義的な話で多数決で言うと声を出さない支持層のほうが本当は多いので、そこをちゃんと理解できるか、そこを信じられるかが結構重要ですね。
岡見:
100人いて100人がいいっていうのは逆に気持ち悪いからね。「えー?」っていう人がいて当たり前だと思う。
小林:
いつまでも岡見さんと話していたいです。あっと言う間に2時間が過ぎてしまいました。今日は本当にありがとうございました。

岡見周二

1953年東京生まれ。73年に京都・長谷川勇氏に師事し磁器を学び、76年に渡欧。ヨーロッパ各地を巡り帰国した後、79年に九州にて民芸を学ぶ。83年、信楽・古谷道生氏に穴窯焼成を学ぶ。86年、山梨で窯を築く。